舞台の稽古で「全裸になる」
そんな過激な稽古があった
僕らはやらなかったけど(笑)
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この稽古が何を意味するか?
それは
僕らは“自分”という存在を
何重にも何重にも覆い隠し日々を生きている
そのこと物理的に知るための稽古なんだ
自分を覆い隠すのもがあれば
恥かしくはないし
怖くはないし
カッコよく見せられる…
見せたくない“部分”を全部隠せるから
こうやって僕らは
日々、自分を覆って、隠しているっていう事実を、この稽古を通し体感し
同時に
“作り上げた自分”で舞台に上がることの無意味さを知る
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隠すものがなくなった時
自分はどんな存在で在るかを知るための稽古
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見方を変えたら
僕たちは
見せたくない部分を必死で隠すことに人生を懸けているのかもしれない
こんな振舞いをしたらいい
こんな言葉を使ったらいい
こんな服を着たらいい
「その方がいい(good)」ってことが
「こうあるべきだ(must)」に変わり
本来の光を覆い、奪い
そして表現の幅も、可能性も狭めていく
「みんな同じ」が当たり前の世の中へ
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では、なんで、そう隠す必要があるのか?
それは
隠したほうが“一人にならない”って思い込んでいるから
できない自分がいたら、一人になる
恥かしい自分がいたら、一人になる
弱い自分がいたら、一人になる
怒りっぽい自分がいたら、一人になる
など
「平均でいないと、仲間外れになる」
だから自分を必死で隠し通そうとする
覆って、隠して、嘘をついて
仲間外れにならいように頑張って
頑張って、頑張って、疲れても、また頑張って
でも、いくら頑張っても
幸福感も得られなければ、人と繋がった感じもなく
気がつけば一人ぼっち
一人にならないように、あんなに頑張ったのに
孤独になるという、矛盾と葛藤
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僕らの仕事って、芸術って
そんな
“覆っているもの”を全部はぎ取った時
人はこんなにも輝けて
愛おしくて、そして可能性に満ちている!
そのことを代表して見せているだけなんだと思う
だから、特別なわけでもなく、すごいわけでもない
みんなの中に在るものを代表して表現している、ただそれだけ
みんなにも
舞台の上に立つくらいのエネルギーも
愛も、可能性も、人を巻き込む情熱も
全ては、内側に、もともともっている
『中にすでに在る』
その気付きを起こすために芸術は存在すると、僕は思っている
単なる娯楽ではなく
特別なものでもない
内なる光を照らし、共に輝くためにあり
そして、その気付きと、輝きは連鎖する
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芸術を通し
たくさんの人が自分の輝きに気付き、もどっていく
そんなきっかけを僕は作り続けていく